磁性ナノドット配列

東京大学物性研究所 先端領域 小森文夫

 

1. はじめに

 

 最近、バイオテクノロジーと並んでナノテクノロジーという言葉をよく耳にするようになってきました。”ナノ”というのは、単位の前につく言葉で10-9を意味しますが、ここでは、ナノメートル程度の大きさのものをあつかう技術と言う意味で使われています。原子の大きさが0.1ナノメートル程度ですから、原子十個分の大きさぐらいということになります。このような小さなものが基礎的な物質研究の対象ばかりでなく、技術開発の対象となってきた理由のひとつは、1980年代の始めに開発された走査プローブ顕微鏡が普及したからです。この顕微鏡は表面の原子一つ一つが見えるだけでなく、その表面がどのような電気的、磁気的、力学的性質をもっているかも調べることができます。また、表面の原子や分子を押したり引っ張ったりすることもできるすぐれものです。この顕微鏡を使って、世界中の研究者がいろいろな物質の表面を観察したところ、予想もしなかった面白い現象がみえてきました。また、電子顕微鏡もどんどん便利になってきて、小さくて役に立ちそうなものがいくつも発見されています。そのような小さなものをなんとか応用して、より便利な世の中にできないかと研究開発が始まっているのです。

 私達の研究所では、物質の性質を原子とその構成要素である電子の運動法則に基づいて理解しようとする基礎研究を行っています。”ナノ”の世界ももちろんその対象です。ここではそのようなナノ物性科学研究のひとつとして、磁性ナノドット配列について紹介します。

 

. 銅表面に現れるナノパターン

 図1(a)は、走査プローブ顕微鏡のひとつである走査トンネル顕微鏡によって観察した窒素が部分的に吸着した銅表面です。水田の航空写真のようなパターンが表面に現れます。図1(b)は、この表面のモデルです。田んぼに対応する薄暗い四角い部分が窒素に覆われている表面で、あぜ道に対応する明るい格子を作っている部分が銅清浄表面です。また、窒素が吸着している四角いパッチの大きさは約5nm四方です。このような表面をつくりその性質を研究するためには、まわりに気体分子のいない環境を作る必要があります。そこで、この研究は10−13気圧以下の超高真空中で行なっています。

 さて、このナノパターンはなぜできるのでしょうか。表面にある窒素原子は、その下の銅結晶の原子配列の上にのっています。そして、ひとつ窒素原子が銅結晶の上に吸着するとその隣の吸着位置にも窒素原子はつきたがります。しかし、窒素原子はそのままそっと表面にのることはできず、下地の銅原子の配列を図2のように少し押し広げてしまいます。このとき銅原子配列に生じた歪は、1個の窒素原子ぐらいでは小さいけれども、窒素に覆われた表面が広がるにつれて次第に大きくなります。そして、それが約5nm四方ぐらいに広がると、ついにもうこれ以上窒素を隣につけて歪を大きくするよりも、そのまま清浄表面でいた方がよくなります。このような機構で窒素が吸着した表面と清浄な銅表面が交互にでき、ナノパターンが現れるのです。実際の研究において規則正しいパターンを作るためには、温度を精密に調整して上手に窒素原子を動かしてやる必要があります。温度が低いと窒素原子は動きませんし、高すぎると窒素原子は銅表面から離れて真空中に飛んでいってしまいます。

図1 (a)部分的に窒素が吸着した銅表面の走査トンネル顕微鏡像。黒い四角い部分は窒素が吸着した領域、明るい部分は清浄な銅表面です。(b)(a)の表面のモデル。

 

図2 銅表面の上の窒素吸着のモデル。黒い玉として描かれている吸着した窒素原子が、周りの4個の銅原子を押し広げています。

 

3.磁性ナノドット配列

 このナノパターンの上にさらにコバルトを少しだけ蒸着すると、図3(a)の顕微鏡像のようなコバルトナノ粒子配列ができます。図3(b)はそのモデルです。この小さなコバルト粒子(ドット)はナノパターンの上の銅清浄表面格子の交差点にあります。蒸着されたコバルト原子は窒素が吸着した表面の上にはうまくつくことができず、そのまま表面を滑っていってしまいます。そして、銅清浄表面の上に来るとそこに止まります。ここで、銅清浄表面のなかでも交差点が一番つきやすいので図のようなドット配列が形成されます。どうして交差点につきやすいのかはよくわかっていません。しかし、前節で説明したナノパターン形成の仕組みから考えて、銅の清浄表面の原子配列が少し歪んでいて、その歪みが最も少ないと思われる交差点にコバルト原子がつきやすいようです。このように、結晶原子配列の小さな歪を上手に利用すると、ナノメートルサイズのものの配列を制御することができます。

 コバルトの高さはたったの2原子分ですが、一つ一つのドットは小さな磁石になっています。小さな磁石の利用といえば、コンピューターなどのハードディスクに使われている磁気記憶媒体への応用が考えられます。図3(a)のコバルトドットがひとつの記憶単位となることができれば、私たちが今使っているハードディスクよりも1000倍も記憶密度が上がります。ところが、それほど簡単にナノテクノロジーが実現してしまうわけではありません。ここでできたナノメートルサイズの磁石では、非常に弱い外部磁場の影響で簡単に磁石の向きが変わってしまう性質があるからです。このことは、50年以上も前からわかっていたのですが、最近のナノテクノロジー研究の中で再び注目を集めています。私たちは、この性質が粒子間の磁気的相互作用によって変化するようすを調べてきました。磁性ナノドット配列の応用に向けた研究のひとつの目標は、いろいろな物質を使ったりナノパターンを変化させたりして、向きが簡単には変わらないナノ磁石を作ることです。

 

図3 (a)コバルトのナノドット配列。高さが2原子分のドットが図1の表面に配列しています。(b)(a)の表面のモデル

 

 

4.おわりに

 ナノメートルの世界がみえてきたおかげで、今までで知られていなかった物質の姿が明らかになってきました。ここでは、そのほんのひとつの例として、磁性ナノドットを紹介しました。小さな磁石の性質はいままで長い間調べられてきましたが、良質の試料を用いて顕微鏡で観ながら研究ができるきようになったのはごく最近です。これからも、磁性体に限らずさまざまな新しいナノ物質がたくさんみつかるでしょう。そして、このような小さなものを本当に役立てるためには、その性質をもっと詳しく調べていかなければなりません。また、それによって、思いがけない発見があるかもしれません。そのような楽しみがこのナノの世界にはあります。